2010年05月17日

植物ライブ in graf

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めっちゃたのしい夜でした。このイベントのために走り回ってくれたスタッフ、特にイツオさんそしてフミヨさん感謝感謝です。ありがとうございました!

2010年04月22日

運命






今日は、京都鴨川のたもとにある妙音弁才天で祭事があり、銀閣寺花方.佐野珠寶(玉緒)先生がお献花するということで花を拵え、京都へ。



ちょうど同じタイミングで白沙村荘の橋本妙さんに花を頼まれたのでまず橋本関雪記念館によって花材を納入したあと、妙さんと現場にむかった。



そして、雨のなか祭事がはじまった。
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 妙さんが、妙音弁才天に向かう車のなかで
”あの小さな弁天様ねぇ、最近は不思議と盛り上がってきてるのよ。たぶん玉緒ちゃんが行く所は栄えるからやね”
 と言った言葉を思い出した。 みな、お献花に見蕩れた

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お献花が終わると、大光明寺の矢野謙堂住職がその花を受け取り、祀るとお経がはじまった



ところで弁天様の祭事には正直、面を食らった

 びっくりしたのは、数人のお坊さんが唱えるお経の威勢とその激しいアクション。お経本を勢いよくアコーディオンのように開いたり閉じたりバンバンしながらお経を読むねん。まるで子供がお経本を遊ぶようにというか、ロックギタリストのようにというか!
  とにかくびっくりしたけどすごくかっこよく、景気がよかった。



弁財天は芸能の神であり商売の神であると聞いた




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今日のお献花の真には白の花水木が使われた。それに紫蘭と錦光花躑躅が少し

現場には銀閣寺・写真部の鈴木心君、坂井真紀さん夫妻が駆けつけていて、雨にも負けずにその場を切り取った。写真がたのしみだ




 
 祭事が終わったあと、矢野住職を囲んでみなでぬくいお茶をいただいた。
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ちょっとおもしろい顔あわせで。妙さんもごきげん





ところでこの小さな妙音弁才天に、シャーマンがいた。


 祭事のお手伝いとしてたくさんの奥様が割烹着を着てお世話をしていたのだけれど、そのなかにその人は紛れていていた。

そのひとはそこの弁天様をずっと守っているひとらしい。

 みなが帰ったあと、静かな小さい部屋でおれはその人と話す機会を10分ほど与えてもらったんやけど、

 

 その時間はおれにとって人生レベルやな、と思うくらい重要な時間でした。





顔を合わせた瞬間

最初に”名前は?” と聞かれて

”せいじゅんです。清いに順番の順と書いて 清順です”


と言ったら、急に声を上げて ”ああ〜そうか、やっぱり...わかった、わかった   ああ〜” 

って。











 そのあとの会話はホンマに信じてもらえなさそうなので、端折っておきます。

 でも、そのときの会話で、すべてがおれのなかでつながってん。

なぜおれが銀閣寺と出会ってからずっとただならぬ縁を感じていたのかとか。
”清順”という名前を授かったのかとか。
500年以上も前のこととか、珠寶先生と出会ったタイミングとか。

おれが守るべきものとか。全部つながった。今日ようやくわかってん。 

いちおうは、人生を彩るドラマは毎日をどれだけ一生懸命生きているかで決まると思ってたのだけれど、たまにだれかがチカラを貸してくれている気がしてしかたなくて、その都度”ラッキーだ”と思ってた


 話を聞いたあとしばらく頭が飛んでいたんだけれど、まもなく弁天様の奥にある六角堂へ案内してもらい中へ通してもらった。 

”そこでは、 なにをどれだけお願いしてもいいのよ”といわれたので、自分のど芯に流れる夢を、30回くらい強く願ったよ









 今年も、銀閣慈照寺の花の、パリでの活動が始まる。いま思えば2008年の金閣銀閣相国寺展inパリから始り、あれからもう2年かと思うとあっという間だ。 今年は5〜6月にかけて行われるのだけれど、今日もらったスケジュール表に目を通すと、プチパレ美術館ギメ美術館での珠寶先生のデモやワークショップはもう目白押し。そして6月半ばにある、とある美術館での珠寶先生と千宗屋さんのお献花、お献茶がハイライトになりそう。おれは花材調達係りとしてその辺りにパリへ行くことになる。 待ちきれへん。
 









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 あぁそうやった、そうやった。

もし、アイスランドで噴火がなかったら、今日のおれはいまごろイタリアに向かう飛行機の中だった。妙音弁才天に行くこともなかったし、シャーマンにも出会うこともなかった。現地の知り合いの社長さんが所有するホテルに泊めてもらって、調査予定の農場を回ることも全部決めていたのに全部キャンセルになって、正直ちょっと残念がっていたのだけれど、

 今日を終えてみて、全部が必然やと気づき、出張がキャンセルになったのも適時的やし、なるほどなと思ったら運命が愛しく感じた
 むしろこうならなかったはずがない


今日みたいな強烈な日もなかなかない
posted by seijun at 22:45| unforgettable flower,  いつまでも

2010年02月06日

青春の一ページ



今週は頭も体もぶっとびそうな一週間やわ。

さかのぼってみよう...




2月2日、深夜に仕事を終えると2,3時間の仮眠をとってまだ夜が明けない銀閣寺へ。

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出発の準備が整うと東京へむかった。

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高速を走っていると夜が明けてきた。


この旅の最初はおれが尊敬する友達のライブアルバムの収録現場へ。 

 日本を代表する女性シンガーと銀閣寺華務花方 佐野珠寶先生のいけばなのコラボレーション。 おれはこの話の相談を受けたときおれは血の温度が3度あがった。 

東京の着くと10分の仮眠をしてすぐにライブハウスにて準備にとりかかる。

おっと、思い出すとあまりに至上の経験をしてしまったので感情があふれて言葉にできないんやけどとにかく、すばらしい日でした。
そのいけばなも、そのライブも その人生やその瞬間やその縁などをよく表していたと思います。 いけばなの活けこみは自分でも気づかないくらいに入り込んでしまってシンクロしてしまったし、ライブは感動して涙がでた。伝説のライブと呼ぶのがふさわしいライブやった。いまでも目を閉じると思い出す。

 

ライブの後、冷える東京の夜のなか片付けを済まし半端じゃない疲れに襲われて死んだように寝た。

4日、目覚めると珠寶先生と銀閣寺職員の植松くんを送り出すと、東京で2件打ち合わせし、友達のフラワーアーティストに昼飯をごちそうになりにいって、そのあとすぐ横浜へむかった。

横浜へは一年前から探している車を見にいった。うちの会社のスタッフが一生懸命働いている時間に車を見に行くなんて不謹慎極まりないと思われるかもしれないけどおれは正月休みの後からマトモに休んでなく最近は昼も夜も働きすぎのなので癒しを求めてたのかもしれない。いまは多数の仕事と現場を同時に進めているのでおれの携帯は一日80回くらい鳴る。50回くらいかける。もちろん仕事は死ぬほどたのしいけどちょっと気分転換もよいかな、と。 車屋さんで目がハートになったあと、今度は岐阜へむかった。
ビジネスホテルで死んだように寝て今日は朝いちから枝切りに回った。地方の職人に任せれない仕事は自分でやるの信条。
 
そういえば今日は現場を回りながらでかい欅の老木に寄生していたヤドリギを見つけた。そのでっかいこと。

すっげえ!と思って早速持ち主の石材屋さんを口説き、枝を切らせてもらった。

とはいえ久しぶりに、”落ちたら即死ぬ!”ってなカンジで、ゾクゾクした。
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どんどん上るにつれて緊張感も増す。どれだけ高いかわかりますか?もちろん命綱なし。

ひとけもあんあまりない、風がびゅーびゅー吹く渓谷で孤独に戦いました。




そして一番上のほうで見つけた。

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化け物め。 



おれがとっ捕まえてやる。



 おれが木のうえでバランスをとりながら手のこで切り落とす枝は大体4,5m。 切り落とすとおもろいくらいでっかい音がして興奮した。

結局一番でかい”宿り木”は人のでかさくらいあった。


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これは普通の大きさの宿り木。こういうふうにほかの木の枝に寄生し、エネルギーを吸収して成長する。これがついた部分の木の樹勢が衰えてやがて壊死する。ヤドリギは美しいけどこわいやつだ。この葉についている実は、木の水分を吸って水水しく、指でぶちゅっと潰すとちょうど蛙の卵のようなカンジ。

美しいのとこわいのは表裏一体だ。





仕事がおわったあと、おれがふとその欅の老木を見上げたら、

”いや〜やばかったわ。もう少しで宿り木に殺されるとこやったわ、おにいちゃんありがとう”

と欅の木がおれに言った。


 あ、別に関西弁じゃなかったかもしれんけどな 



いまは三重県のビジネスホテルにいてる。明日は朝4時半から4人の職人さんたちが兵庫を出ておれと鳥羽で合流し、みんなで船にのって菅島へ渡り、ごつい松を切りに行きます。




posted by seijun at 00:13| unforgettable flower,  いつまでも

2010年01月23日

ぺちゃくちゃないと

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まず、プラントハンターっていう聞きなれない仕事についてしゃべりたいと思うんですけど、もともとプラントハンターっていうのは二、三百年まえに、ヨーロッパの貴族や王族のために危険を冒してまでも遠い国へまだみぬ美しい花や植物を探しにいったひとたちのことを言うんです。

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で、(株)花宇は現代においてそれに近い仕事をやっている会社です。 といっても、いろんな国の貴族や王族皇族のためだけでなく花宇は、あらゆる依頼に応じて、国内外問わずいろんなところへでむき、さまざまな植物を探し提供しています。これは山で藤づるを切っている写真です

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いけばな、フラワーデザイン、庭師、アーティスト、植物園、ホテルや百貨店やテーマパークなどの商業施設など、うちの素材はさまざまなシーンでつかわれています。

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で、花宇が扱う商品のなかで特徴的なもののひとつが、こういう生の桜やその他の花木で、こういう花の開花を自在にコントロールし、いつでも咲かせれる技術にあります


(ダッシュで舞台裏へ、3mの満開の桜の枝を急いで持ってくる。)


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すいません、今日って何月何日でしたっけ?

”1月22日!”

ありがとうございます。そうですね、写真のように真冬に切った桜が数週間でこうなります。1月22日に満開の桜、みなさんどうでしょうか?

会場から拍手。(無理やりさせた気がするが...笑)


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なぜこういうことができるかというと、花宇には大きな温室と大きな地下冷蔵室があって、そこでぼくたち職人が1月から4月にかけて毎日花芽をチェックし開花のタイミングを調整しています

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これは昭和十五年ごろの花宇の温室の写真です。いつからこういう仕事をやっているかというと幕末の明治元年からです。二代目のおれのひいじいちゃんの代で、当時まだ珍しかった温室を建て、桜の開花調整に世界で初めて成功した人ひとなんです。言うたら花咲かじいさんみたいですね 笑

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現代になり、花宇の仕事の幅も広がりました。 いまでは様々な国から想像もできないような植物が、きびしい検疫を経て花宇に入ってきます。これは”黒筆”と名づけたダシリリオン ロンギシマムという木です。たとえばこういうのがおもしろい場所に植えられたり飾られたりするわけです。


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これはおれが25歳のときにオーストラリアから輸入した、ボトルツリーという木です。これは海を渡った木としては世界最大と言われています。まぁ、こんな仕事を25歳の日本人のプラントハンターがやったっていうのは、想像がつかないとは思いますが 笑

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気がつくと花宇には、5000種類を超える植物が世界中から生産管理されています。よく、”植物園よりすごい”と言ってもらいますが、そのたびに”植物園に卸す立場ですから”と答えます。 

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最近では温室という非日常的な空間を利用して仲間たちとパーティーなど、たのしくやっています。その他グラフィックショー、ライブ、雑誌やテレビ撮影、ラジオ収録、面接、焼肉パーティーなどテキトーにやっています 

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また、うちの花木生産用の畑を使って京阪神エルマガジン社とともにミーツ野菜畑プロジェクトを進行中です。長いこと花業界としかつきあわなかったうちの会社が最近少しだけフレキシブルになったような気がします

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植物は様々な撮影でもチカラを発揮します。これは友達の美容師さんと、うちの植物とのコラボレーションで生まれた写真です。モデルさんが纏っているのがパプワニューギニアから来たコウモリラン、後ろに組んであるのがマレーシアから来た熱帯性の竹の根っこです

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海外でも仕事も増えてきています。これはヨーロッパでも国際ガーデンショーで花宇の手掛けた巨大なソテツの木が発表されたときの写真です。日本の古いお寺に植えてあるような木がヨーロッパのガーデンデザイナーたちの前に現れ、大変注目を集めました。

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これはとあるヨーロッパの庭の風景ですが、みなさんたとえばこんな風景をみたことありますか? この真ん中にあるのは樹齢2000年のオリーブの木です。 自分が見て感動した景色や木をみんなにもみせてやろう、そういう気持ちが仕事のモチベーションになっています。ということでこんなオリーブの木の輸入にも挑戦し、成功しました

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とはいえ、花宇の主たる存在意義は日本の伝統文化、いけばなの仕事です。花宇の花材は多くの寺院を彩ってきましたが、最近でも海外での日本文化普及のための仕事にも取り組んでいます。この写真は昨年パリで行われた”金閣、銀閣、相国寺展”での1シーンです

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すべてのおれの仕事の原点は21歳のときにボルネオに探検に行ったときが始まりでした。花や木にまったく興味がなかった自分がそこで見た植物の美しさにただ単純に感動し、いまに至ります。現在では植物を探すという仕事を通して出会う花や木や人、そしてちいさな奇跡を毎日のブログで公開しています。

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アントニオ=ガウディが、”人類は創造しない、発見する”と言った言葉が好きです。おれは本当にセンスがないし、想像力があるほうではないんやけど、この仕事は発見した花がおれにどんどんチカラと知恵とチャンスを与えてくれます。これが自分にとってもこの仕事が天職と思えるところのひとつです


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現在、花宇には年間2000件を超える案件が全国、国境を超えて依頼されてきます。 多忙な毎日です。 ですが花のチカラを借りて今日もみんなでがんばれればと思っています。 ”花”に宇宙の”宇”と書いて 花宇  です。 では終わります。よろしくおねがいします。ありがとうございました  

 合掌
posted by seijun at 13:33| unforgettable flower,  いつまでも

2009年12月27日

ひと

今日は銀閣寺花道場にて立花風たてはなの研究会に参加させてもらった。


これは月一回、慈照寺の花の活動をサポートする仲間たちが10人ほど集まり、一日かけて本格的に学ぶ場だ。


今朝家を出る前にふと、 ”今日って、作務衣持っていったほうがいいのかなぁ? 、いちよう持っていこうかな” って思ってかばんに作務衣に入れた。


 大書院に着くと、やっぱりみんな花道場の作務衣を着て本格的に準備をしていた。

 ”よかったなぁ 作務衣を持ってきて。” と思って早速着替えて大書院へ。

そしたら福田さんが ”あ、清順さん作務衣持ってたんや” と何気に言った。
 福田さんは、京都の老舗の植木屋、樋口造園で働く植木職人でありあがら、自身の修行のために花の活動を手伝っているひとだ。



 あれ?よく見たらみんな 銀閣寺のグレーの作務衣に統一してるのに福田さんだけ青の作務衣やねん。なんでやろ、って思ったら、





あとから知ったんやけど、福田さんはおれがきっといつものように私服で来るだろうと思い、おれに気遣ってわざと福田さんも違う色の作務衣を着てくれたらしい。



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このひとすごいって思ったよ。



何気にそんなことできることがすごい。



    もう一回言うけど、 福田さんすごいなぁ





 
posted by seijun at 22:38| unforgettable flower,  いつまでも

2009年10月17日

おれが好きだったひとの遺作

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生真流 川岸慎園さん の花 


京都での日本いけばな芸術展にて



2枚目の作品は”仙女の舞”を使った作品。後にインド鶏頭とソングオブインディアが添えられた 

隣にいるのはサーファーであり岸和田だんじり団長である西村生花店さん。
この作品は後期の作品だから明日まで見れる


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活けこみの様子。ものすごいお客さんも多かったけど、活け換えにきている先生方もまたものすごい熱気。何百人以上?のひとが思い思いの花を活けてます。ニチイケはたまにお客のふりをして見に行ったりはしたけど、活け込みまで見たのは初めて。何十人という業者や先生など顔見知りに出くわしてめっちゃ驚かれた。 たまに来るとまたいい刺激にもなるなぁ。 




先日、実に興味深いことを聞いた。
香園先生の後継者の慎園さん来社されたときに、香園先生が亡くなる直前に考えていた花を京都の日本いけばな芸術展で活けるということだった。


”川岸香園として出瓶する最後の作品だから、若にもみてほしい”

と幸運にも慎園さんからお誘いを受け一緒にお供させていただくことに。 (これがうれしかった)
慎園さんは僧侶でありながら高校で理科を教える先生でもある。そして香園先生の意思を受け継ぎ生真流を引っ張る次期家元。





おれ、先代の川岸香園先生のかくれ大ファンだったのは過去にも書いたが→

http://blog.hanau.jp/article/18692800.html

人望も厚い慎園さんもまたすごくいいハートのバイブを感じるひとだ


一番最初に載せた写真の作品はパリから帰って香園先生の葬儀に出たあとその足で甲信越地方に走ったんやけどそのとき切った苔躑躅。真ん中のごろんとした木は20年以上前に香園先生がおれのオヤジから買ったものだって。



そして最後にその家元の名で出瓶された作品。
最後の病床で香園先生が考案した造形作品を義理の息子である慎園さんがその手で見事に再現した。

おれが2年まえにマダガスカルで採取してきた一枚の葉から育てた”仙女の舞”の変種を使っている。
Kalanchoe beharensis "nudum"という。
ヌーダムとはもちろん”裸の”という意味。”仙女の舞”の毛がないヴァージョンだから。そうなると仙女が裸で舞うってなカンジか。ええやんけ。笑 和名はいま考えているが明日 学者と会うので相談しようと思う。裸とは、裸体もそうだけど無駄がないという意味でもあるよな。
 とにかくこの素材を見たら香園先生なら”おもろい”と言ってくれるでしょう。

 

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実に川岸先生らしい、マッス(素材を塊として見せること)の作品だった。真ん中で切ってあるマッスの奥に黒のドラセナが色の重なりのようにも見えるし影を作っているようにも見える。右に見える尖ったものは3年前にオヤジと一緒の海外へ行って仕入れたモーリシャスのドラセナ。 というか素材はともあれ、作品そのものにしびれた。この花の重なりというか深みのある花のコラージュに香園先生の息を感じ、また先生に会えた気がします。

本当に死ぬ直前まで作品のことを考えていた先生のことを思うと心臓がどきどきするわ。おれの情熱はまだまだ川岸先生にはおよばないと思う

 とにかくだからいけばなはおもしろい。これからもおれが出会う花の奇跡と、花の奇跡を呼び起こすひとを遠慮しながらも書き続けようと思います
posted by seijun at 13:40| unforgettable flower,  いつまでも

2009年09月27日

いつまでも


 パリランジスでの仕入れも無事終わり、ほっ、と市場のカフェで朝メシを食っていると一本の電話が。


 突然の訃報だった


そのときはちょっと頭のなかに入って来なくて、とりあえず飛行機に乗らなきゃ、と市場からそのまんま直接空港へ行き、飛行機にのった。11時間のフライトはあっという間で、飛行機から降りると空港から直接葬儀式場へタクシーを飛ばした。オヤジと嫁さんにスーツを持ってきてもらい、合流して駐車場で着替えて、ギリギリ間に合った。


おれが崇拝していたある華道家の家元の死。式場に付くまでは”とにかく行かなきゃ”という一心で夢中やったから不思議と悲しさもなかったんやけど、それが祭壇を見て 告別式がはじまると急に胸がキュンとなった



式場には華道関係、茶道関係、寺院関係、政治家など各界から著名な方々が大勢来られていて本当にその家元が歩んできた軌跡がすばらしかったんやなぁと感じた。
 97歳で亡くなられるまで生涯現役、結婚もせずその一生を花に捧げたひとやった。生半可な覚悟ではない。

 現代ではたまに、家元制度にたいする否定的な意見も耳にすることがある。 

 だが花の家元というその星の下に生まれた人生、という道のりは、家元として生まれて死ぬまでその人にしかないドラマや葛藤や
価値観があり、これは”華道”という学問と芸術の両方にまたがる
日本独特の世界においてそういう存在が何百年前から潰えることなく世襲として続いているのはすごく貴重で特別な存在やと思っている。

たしかにもっと歴史をたどれば世襲制は新しい制度だけど、家元という、おれたち一般市民には一見わかりずらい人生を歩んでいるひとって、華やかな表面の陰で、大きな宿命を背負って生きているんだぜ。 
 おれが家元制度に共感を覚えるのは、別におれ自身が家元と呼ばれる方々からご贔屓頂いているからそういっているわけではない。ただ家元制度に鼻から疑問を持つ人のおおくは嫉妬という感情が少なからず根底あるからではないかと結局推測している。 

いま車を3時間ほど飛ばして中部地方に来てもう午前3時をすぎる。もうまる2日ほどまともに寝てないけどもうすこし今日のことを書きたい

 今日お別れをした家元はおれにとっては雲の上の存在やった。今日、次期家元が”家元に対するたくさんの人の支えは絶大だった”という話がとても印象的で、これほどまでにカリスマ的で人を動かす力をもった華道家がいたという事実は、遠くからあこがれていたおれにも日本人として誇りに思う。家元とは、こうあるべきなのか、と思った。

94歳になっても伝統花はもちろんヒップな花まで活ける。色彩感覚、造形力、アドリブ力もハンパじゃない。また新しく目にする花材に対する好奇心もすごかった。3年前に花展の活け込みの際、休むことなく何時間も花を活け続けたり熱のこもった指導をする姿を見せてもらったときに感じた気力や情熱はおれの頭のなかで完全にRock化し、強烈におれの脳裏に焼きついている。

おれは3年前にその家元が書いてくれた手紙を、ほとんど読めないんだけれども宝物としていつも手帳に入れて持ち歩いてるよ。これからも一生持っていると思う。



 ありがとうございました 先生、尊敬しています。 清順拝
posted by seijun at 03:48| unforgettable flower,  いつまでも

2009年06月30日

EEIE

近畿2府4県で、快適なくらしをバックアップする関西電力グループと、同じく地元出版社として関西の街を応援する京阪神エルマガジン社(Meets,savvy,Richer,エルマガジンなどの雑誌を出してる会社) が、より快適で住みよい【EEIE】をプロデュースしています。


いつもたのしくつき合わせてもらってる戦友 grafのスタッフがエルマガのこれまたおもしろい取材チームと一緒に先日、花宇に取材にきてくれたときにできたものです。

http://www.eeie.me/voice/graf/vol004/

こないだ編集部の島田さんとメシを食ったときに、この島田さんはEEIEを本にしたいと言ってたよ。


”マイナスイオンだの浄化だの、植物のパワーは「癒し」で片付けられるものではなく、清順さんが話すように、記憶に残ったり、感動したり、話のネタになったり、暮らしの中でコミュニケーションの源にもなり得るのです。”

という文章があったんやけど、これは本当におれが言いたかったことの集約みたいなものだ。

うちは、毎年全然ちがうことやってるし、来る季節などによって置いてある植物も仕事内容もそのタイミングによって印象も全然違うと思うけど、あのタイミングでの花宇を1シーンを本当にうまく切り取ってもらった気がします。

 そしてこの取材でライターさんが本当におれの声を、おれのいつも言いたかったことを本当にわかりやすく文にしてくれたことをすっごく感謝しています。  
 
そしてともきさん、声をかけてくれてありがとう〜
posted by seijun at 13:31| unforgettable flower,  いつまでも

2009年06月08日

one planet

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LADUREの何気ない壁の絵が気になった。
まずその絵をよく見てほしい。

 その風景は風の抜ける草原に松らしき針葉樹、その下にアガベ、左端には桃の木が花と葉を出し、左奥にはヤシらしきものがあり、おおきな羽を広げた孔雀のしたには野草もみえる。なんとも一見まとまりのない国境を越えた感じがいかにも花宇のテイストにもマッチしていておれは好きだった。

ひとはまとまりのあるものを好むのでいろんな国の植物がひとつの空間に混ざって生きているというような雰囲気は普通好まれない。

 例えば庭つくりにおいても和風、洋風、いろんなテイストにくくられるワケだけれども、考え方のひとつとして大きな目でみると地球は一個しかなく、場合によっては国境でボーダーラインを無理して引く必要もない。世界中の植木が生えている庭や絵画があってもよいはずだ。  おれはすべての国の植物を公平に見ているし、地球は一つだという考えも常にもっているから どの国の植物にも興味があるし愛情がある。だから混ざっていてもなにも違和感もない。

いけばなにおいても、一つの器に様々な国の木や花が出会い、活けられてひとつの新しい世界を創る、これは非常に平和で御洒落なことだと思う。
 小原流3世家元の小原豊雲氏が戦後に積極的に日本の枝に洋花、熱帯の花を取り合わせてすばらしい作品を数おおく残した。これはいまでは普通なことであるけれども当時世界でも日本の枝物といろんな国の花を取り合わせて活けるなんて初めてのことだろうと予測する。世界的に見てもそれをいち早く行ったパイオニアとして、この業績はおおいに称えるべきだと思う。 
 
もちろんその土地その土地に根付いた文化を尊重することは大切だ。だが文化というのは時代とともに変化成長していくものだと思う。
 おれの解釈では文化というのは人間が自分たちが行ってきたことを記録として残している部分を指すから、いつの時代になにをやっていたかは記録として残っている以上その文化を壊す心配がない。

だから例えば何百年も前に生まれた日本のたてはなが、現代において松を真にしてバラを添えて活けてあってもそういう考えをするとなんら違和感がない。 別に古人が使った花材に固執する必要がないときもあるはず。

 立花においても、ひとつの器にあれだけの種類の花材をいれて美しく見せることが醍醐味のひとつであり、昔はたまたまその当時に手に入った花材が多く用いられたワケで、もしその当時に洋花が日本にあったならいまの立花の歴史は変わっていたとおもう。古人が日本古来の花材を用いて花をたて、記録として残してきた偉大な仕事は消えることはない。だからそれが文化とともに立花が進化して、現代いろんな花材が国境を越えて立花の素材をとしてひとつの器に入っている、これは至極自然なことだ 
 

文化を花や庭つくりに活かすことは重要だけれどもおれたちはどの国の人間であっても同じ星に住んでいることと、どの国の植物も同じ星に生えていることを忘れずにいれば、他人の活けた花や作った庭に対しても偏見がなくなるはず。狭いこの花の世界はいまは安全な場所で人の陰口をたたいたり足の引っ張り合いをしているひとが多い。おれはそれはほんまにつまらないアホなことやと思うしみんなでひとつの場所にいてるわけやからこれからは認め合って協力していく時代だと思う

 花宇に来たひとも何故うちの会社は桜の花や山野草やサボテン、熱帯植物、山のもの里のもの、ワケのわからない世界中の植物たちがごちゃごちゃ混在してるかすこしは理解してもらえるはず。

 花宇という会社はいつか これからの時代を背負ってたつ花人が世界の平和をねがって花を活けるような舞台が来る日を夢みて、(john とyokoのimagine じゃないけど)そのためにこの星のいろんな国の素材に精通していきたいと思ってる。



ただのカフェの絵をみて暑苦しく語りすぎた感はあるけど、もう一回絵をみていると”きっと天国の植生もああいう絵みたいにいろんな国の植物が生えてるんじゃないかなぁ”と思ってしまった。
一年中花や植物を通して生きていると考えすぎてたまに1人でワケのわからんところへ行ってしまう。笑

今日のおれの書いた記事は、30年後に自分の息子と飲みながらこの記事に書いてることをあーだこーだと意見交換をするのもたのしみやなぁと思う。 
posted by seijun at 08:31| unforgettable flower,  いつまでも

2009年02月18日

花いろかんさい

http://kansai.hibiyakadan.com/
桜のセミナーの言うてたやつです。


今日はおれ休み、咳がなかなか止まらないので近くのヤブ医者へ診てもらいに行った。体調はすこぶる快調で、痰も絡んだりもしないのに咳がとまらないのは、ストレスが原因とか、癖とか、あるいはホコリやタバコの煙(おれはタバコの煙は死ぬほど嫌い)が原因だとか、いろいろ自分で調べたんやけど、ヤブ医者にいくら質問攻めしてもいい答えは返ってこない。
 ”大丈夫だと思いますがお薬出しましょうか?”やって。ヌカに釘やわ。
posted by seijun at 11:38| unforgettable flower,  いつまでも

2009年02月04日

桜にまつわるエトセトラ

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今日はカフェHANAREを貸しきって桜のセミナーの日。  いつもうちの花材を使ってくれている日比谷花壇さんの西日本事業部のプロのデザイナーさんを中心としたちょっとした桜にまつわる研究会です。 大阪の一流ホテルを中心にいつも大きな仕事をくれている日比谷花壇のデザイナーさんたち。今日は休日を使って志ある人たちが20人以上集まってくれました。 このセミナーの内容は日比谷花壇さんのサイトにもアップされるよう。

花宇にとってもこういう機会は初めてで、おれも花材やうちの仕事に関して話すという機会も初めてなのですごくよかったと思う。

 セミナーでは普段使っていただいている花材がどういうところでどういう過程を経て出荷されているかということをより一層理解をしていただくために一生懸命に話したよ。自分の活けた花や素材の出生を理解するということは、これは花のデザインそのものと同じくらい重要な要素やと思ってるねん。 だって一本の桜を飾るのもさ、市場でたまたまあったものを買ってきたものを活けるのもいいが、その一本の桜がどんなストーリーがあるか理解して活けるほうがよっぽと説得力があるやん。末端のお客さんにも伝えたときに感動があったりする。  だからこういう桜のことについて知れる機会はいい!と言ってみなさんに声をかけてくれた山内デザイナーさんにはとても感謝しています。
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好きな音楽を流しておいしいパスタとお茶をいただきながらの堅苦しくないセミナーにしたかったんやけど、アリのハートのおれがひとりで緊張してちょっと前半はかみまくってしまったのが失敗やったけど(おれは相手が3人以上になると急に緊張してしゃべれなくなる) 、みなさんにすごいよかった、とたくさん言ってもらえてうれしかった。 またやってくださいなんて言われちゃうと”え〜まじっすか”と単純に喜んでしまった。笑

これは自由時間中にうちの前の公園で遊ぶリッツカールトンメンバー。 josajbg.JPG


終わったあとに、参加してくれたデザイナーさんが ”花宇さんの花材は気持ちがこもってるのがわかるから、使うほうも自信をもって仕事できます”と言ってくれてたらしい。 
  
 →このセリフ、泣かせます


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セミナー後の飲み会では盛り上がって(盛り上がりすぎ?)もう笑いすぎて腹がよじれそうでした

posted by seijun at 23:48| unforgettable flower,  いつまでも

2008年12月12日

put your hands up

今日は紅葉のもみじの植木を探してる。この時期に。

っていうかまだ葉っぱが落葉してないもみじなんて、いまごろあるわけないやんけ!って突っ込まれそうなんやけど、そのとうり。普通に探していたんじゃあ話しにならない。少なくとも、半べそをかきながら探してた。

先日お亡くなりになったある有名人の方のお葬式が来週東京で行われるんやけど、それに使われるらしい。自然風の紅葉がイメージでお別れの花が飾られる。
そういえば今年は、オヤジとおれがずっと大事にしていたお客さんが亡くなられた。非常に能力が高く、経験豊富で、デザイン力も行動力もすぐれた人だった。敵をつくるタイプの人柄やったけど男気があっておれは大好きな人やった。 おれが花の仕事に関してモノゴコロがついてきたこの2,3年の間に何度か大きな仕事をさせていただいたがたのしかったのを覚えてる。そういえばその人がおれの植木を使ってくれた最初の仕事も紅葉のもみじやったな。樹齢100年以上の巨大な富士山の形をした紅枝垂れもみじ。よく覚えてるよ。その人は花宇のことを本当によく理解してくれて20年くらいうちを使ってくれた恩人みたいな人やった。おれ自身も自分の結婚式場を探しすのにおれが唯一相談した人だった。若かったのに急に亡くなられたから、今年のもみじの葉が散るのを見ているとどうも辛い。

花を活けたり植木を飾るという行動は自然を不自然に扱うことにもなりうる。切られてやがて枯れゆく花や役目を終えて散りゆく葉と、それにもう一度息を吹き込んで捧げようとするおれたち業者の手が相反しながら、空間をつくる。 そこに美しいものができるわけで、それは必ずしも生き生きしているものがきれいとはかぎらず、切なくて美しいものも生まれる。

 花の仕事を通して生活していると生と死を感じることがおおい。

今日はそのもみじの落ち葉もできるだけたくさん一枚一枚集めて窒素入りの水のスプレーを振って押し葉にした。素材屋としてはできるだけ手をつくした。今回の依頼の場合、超プロの業者さんだろうから植木を装飾する上では技術的になら、かなり精巧に造花をつけたりそのもみじの押し葉を植木につけたりして飾ることはできるだろう。けれども本当は今日採ってきた、この時期に奇跡的に葉のついている紅枝垂れもみじが、旅立った人のためにたったの少しでもそのままの葉を残して来週のその日を迎えれればなぁと思っている。
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葬式の花を専門にする花屋を仕事屋と呼ぶ。


花を活かす殺すも 水、風、温度、陽、重力、湿度、気持しだい。

たまたま紅葉のもみじの後ろには桜が咲いているがここは天国じゃぁなくて花宇だ。


posted by seijun at 00:56| unforgettable flower,  いつまでも

2008年11月14日

花と笙と間 in paris

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一ヶ月ぶりのプチパレ美術館です

という気分に浸ってる間もなく、今日は朝から夜遅くまでかなり内容の濃い一日やった。
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今日佐野玉緒さんは、朝はテレビ局の撮影で、夜は笙奏者、宮田まゆみさんとの競演の舞台で花をたてた。




今日はまじヤバかった。

 
これは舞台前、ほんの少しのリハーサルでの一場面。
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男松が真

玉緒さんがこの男松を立てたとき、今夜はやばいぞと思った。そういえばこのZEN展、開会式の夜も今日の夜もパリは満月。




本番。

 舞台に立てられた男松の力強い線に女松の華奢で艶かかな線と葉が絡みその2本の間の空間が気持よく緊張していて、その松たちに文人調の苔南天が添えられ、葉が照り始めたばかりの小菊、枯れすすきの葉や妙蓮寺の椿の赤色が美しく寄せられた。
 あまりにも余裕がなかったのでそのたてはなを写真には撮らなかったけれど、見たひとたちは感じたと思う。パリの人たちにもこんな世界があるのだよと伝えれてのではないやろか。

おれが思うのは西洋の花のデモストレーションやアレンジと、日本の伝統の活け花の最大の違いのひとつに”間”があると思う。 
 
わかりやすく言うと一概には言えないが西洋のアレンジはそこにどんどん花を足していって、カタチを作っていく足し算の花、それに対して日本の花は、ひとつひとつの花と対峙し切り詰めて表現する引き算の発想がある花やと思う。 己の欲を滅し最小限の花でもって表現する。それは素材の花そのものに命が宿っている、それを切り取ってまた吹き込む作業への気持ちがすさまじくストイックに放たれる。(花材を切るほうの気持ちものりうつってるし)

 今日はそれにくわえ宮田さんの笙の音の”間”、舞台での二人の動きの”間”、そして花の”間”。その”間”があるからこそその”間”のあいだにあるものが美しい。


朝のテレビ撮影のときに玉緒さんが立てた花も忘れられない。

  おれがその撮影中にもかかわらず取材に来ていたひとに
”できれば活け手の真後ろ、つまり花の正面からも撮っていただけるとありがたい”
 と思わず言ってしまった。それくらい見ていて興奮するライブやったよ。 その人たちもすぐ理解してくれて、正面からの撮影もできた。
よかったよかった。 正面というのもやはり”間”と同様、重要なんです。 

 それにしてもおれ個人として今回のデモストレーションを見ていて、”なんて花材屋冥利につきる光景やろう!”と思った。選びに選ばれた花材たちがそこにあった。 
 たとえば夏に正二さんと苦労して二人でやる瑞光松(男松)の仕込みがたった1本のおかげでむくわれた気分になる。幸せです。 
 
posted by seijun at 11:37| unforgettable flower,  いつまでも

2008年11月08日

池坊の花

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京都で開かれている池坊展を見に行こうとおもったのは、東京のガーデンショーの華道池坊のブースでもらった池坊の冊子がきっかけやった。その巻頭ページに池坊由紀さんの活けた花をみて純粋に池坊の立華が見たくなってん。からすま通りの六角堂横の池坊本部での花展は時間がまにあわず、見れなかったので、京都の高島屋7Fで開かれている池坊展を見に行くことに。
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会場につくと柳が吊るされていて、そこに願い事を書いたような札と、梶の木の葉らしきものがくくられているのをみて、おれはかなり おぉーとおもった。
梶の木。これにはおれも一目おいている。(自然林になにげに自生しているが、雑木林のなかて生えているものをすぐに梶の木とみわけれる人はもうほとんどいないと思う。)


そしてじっくりみてまわった初めての池坊展。 

感想を率直にいうと、

かなりショックやった。


本当に感動しすぎてショックやってん。嫁ちゃんもおれも最後の幹部先生方、家元の花をみたあと、少しの間、言葉がなかった。

もう、なんと言ったらいいか...

とにかく、撮影禁止と書いてなかったので、ちょっとだけ、幹部の方の作品の写真をのせてみようかな。どうしてもいろんなひとにみてほしいから。どれも3m以上の作品です
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こういう作品をつくれる教授さんたちはこの国の宝です。!



”  我が人生の晩秋

 ..........朽ちた葉を養分に、花は新芽を出し 伸びていく。
    次代に美しい花が咲くように...
    我が人生も晩秋、老い行く様がどんなに辛くとも受け入れよう
    役目を終えるまで
    蒔いた種が、芽吹き、大きく育つのを祈って...
       
                           華道家元 池坊専永 ”


池坊専永家元の作品に、そんなメッセージがあり、その至上の空間の前で人々が動けなくなっていて、おれたちも固まってしまったんや。 
 パクリだらけのデザインがもてはやされているこの世の中で、伝統を継承してきた日本の文化を伝える花人が活けた立華という究極のデザインを見てみてはどうだろう。 
見ていると不思議に涙がでるようないけばなはどうだろう。

そんなことを考えてると横で嫁ちゃんが
”なんか、涙がでそうになる、でもこの人の人生の一部を垣間みれた気がしてすごくうれしい気分になってん”

それぐらい池坊専永家元の花は美しくて切なかった。

どんなにいけばなに興味がないひともこれをみれば納得する。ぜったい。
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そういえば今日の午前中もおれは当たり前のようにおれの好きな花人があるお寺で活ける花を切りにまわってた。 この歳で生け花のたくさんの流派の花材を切る仕事をやらせてもらってる幸運を改めて感じてるよ。 今回の池坊展は花宇と商売の絡みがまったくないので、本当に純粋に見ることができて、感動できた。伝えたい気持ちがほんとうにわかる花展やった。 そしてみんな花をいけるひとは流派を超えて 夢があるのだなぁとあらためて感じた。

おれもしょうむないタヌキじじいなどを相手にしてるのもあきた。いけばなの仕事は本来もっと純粋に熱くてまっすぐなものやったはずやろう。おれはますます気合いが入ったよ。 まずおれのできることを一生懸命やる。おれがもっと大きな人間になって、 勘違いしてるうそばっかついている汚いタヌキじじいらを見返して真実を声を大にして言える大人になって、バックからいけばなに本当の意味で貢献できる男になりたいと思うわ。おれがやってることはまだまだ花宇の先代たちがしてきたことのほんの鼻クソにも満たない。がんばらないと。(ちょっとおれ夜3時なので興奮してます) 明日パリへいきます。よかったいいタイミング。もうたのしみでしかたないねん

今月の出張予定

 
  8日〜9日     フランス  パリ(花材お届け)         
  9日〜12日    スペイン 南部 (植木屋周り 素材調達)
  12日〜14日   フランス パリ (ZEN展)
  15日       服部さんの野外パーティ猪名川町(これプライベート)
  16日〜18日   アラブ   アブダビ(ランドスケープの展示会)
  18日〜19日   アラブ ドバイ (うちあわせ)  
  21日帰国
  月末        大分県 (切り枝用の桜の委託生産地契約)
            福岡県「(年末用 五葉松の枝 ハンティング)        



posted by seijun at 03:06| unforgettable flower,  いつまでも

2008年10月16日

Zen et art a Kyoto

竹を切ったことのある人ならわかるかもしれないが、竹の葉というのは、切るとすぐに葉っぱが乾燥してかさかさになってしまうねん。だから竹を葉っぱが付いた状態でみずみずしさを保ちながら使うには、”竹の水揚げ”を行うんやけど、これはその竹を切ったらできるだけ早くしなければならない。

昨日アルベルトカーン庭園で竹を切らせてもらったんやけど、諸事情により”竹の水揚げ”をただちに行えなかった。 これでは、ものの数時間で葉がダメになってしまうということで、しかたなく、佐野さんは前日にきて違う花材で真の枝を立てることを使うことに切り替えて、昨日はそのまま帰った。

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今日のパリは雨。

そしていよいよ本番。朝プチパレへ入ってバタバタ準備をしていて、花材倉庫を見に行くと目を疑うようなことが... 佐野さんも声を張り上げた。 

なんと、竹が生き生きしてたんや。 

でたぁー佐野玉緒マジック!

奇跡です。 これは正に奇跡。

水揚げをしてない竹の葉っぱ一日たってもが生き生きしてるなんてありえない! すげぇ!
昨日まで相当の疲労とストレスとプレッシャーですこしだけ元気がなかった佐野さんが一気に機嫌がよくなった。
そっこー塩をもちいて”水揚げ”をやった。
これで大丈夫。
それで思いっきり集中して花に向き合えたんやと思う。”よし、松竹梅でいこう”


本番。

佐野さんは”たてはな”を堂々と活け上げた。




本当に見事でした



プチパレ美術館のシャザール館長も”たてはな”を見てたいそう感慨深そうやった。


毎日放送のひとが”撮影してもよろしいですか?”とたずねると、佐野さんは、
”は?”
と無愛想に言っただけで、花に集中しきっていたのがおもしろかった。
ただベテランらしきカメラマンのおっちゃんは体当たりで全身でその花を立てる様子を撮っていた。

 


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開会式に先立って、日本仏教の最重要人物と言われる日本仏教協会理事長であり相国寺金閣寺銀閣寺の大ボス有馬頼底さん、茶道裏千家15代家元の大宗匠さんを中心に法要が行われた。これをみていたフランス人の著名人の方々は真剣な面持ちやったなぁ。

有馬頼底さんのオーラ、人柄、声、顔はいつ見てもすごい。 そのひとの人間力がびしびし伝わってくるよ。おれがいままでの人生で、実物を見た時にときに人の格みたいなのを感じたの長嶋茂雄さんと有馬頼底さんやなぁ。別格やわ。

そういえば有馬さんの挨拶で知ったんやけど、今回の京都名宝展では、まだ日本でも後悔されてない国宝が展示されてるんやってね。ゴージャスですわ。



今日の開会式、内覧会、レセプションパーティ、著名人を含めたくさんの人が来ていたけど、これからのこの反響はすごいことになるやろなぁと感じたよ。フランスには、びっくりするくらい”禅”をリスペクトしている人がたくさんいる。パリと京都が姉妹都市になって50周年記念。いい感じやね。
いち花材屋としてもいち国民としても、うれしい気分です。

フランス パリで日本で室町時代に始まった足利義政を祖とする真古流の花が銀閣寺花方佐野玉緒によって再現された。

これは記念日です。


このためにわざわざ見にきたひと、みんな満足な顔してた。銀閣寺ご一行もみなさま超ごきげんやった。 おれも、やっぱり本当に見たいと思うもの、経験したいと思うものは地球の裏でもどこでも、ヒマでも忙しくても関係なく行くべきだと改めて認識できた日やった。



心配するからだれにも言わなかったけど佐野さんは本番前に体調を崩して一日寝込んでしまったことがあった。メシもあまり食えないと言っていた。いろんなことと戦いながらなんとか迎えた本番やった。自分の人生をかけて岡田幸三先生に弟子入りし、世間のことを全くシャットアウトして花の修行に没頭した末にここまでこれたのは佐野さんの覚悟と努力に他ならない。どんな世界でもそうやと思うけど、一つの領域に両足を揃えて飛び込む勇気をもった人が減っているなかで、佐野さんのような存在は本当に貴重やと思う。これからたくさんのひとに応援され、支えられ、嫉妬されるだろうけど、この人なら自然にこのまま歩んでいくと思う。岡田幸三先生も、天国でそんな愛弟子のことをあい変わらず嫉妬しながら安心して見守ってくれていることと思う。

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今日の本番の介添人をさせていただいておれはめちゃめちゃラッキーだ。

そしてこの機会にこれなかったひと、これを見れなかったひと、安心して後悔してくださいね。
posted by seijun at 08:14| unforgettable flower,  いつまでも

2008年09月15日

死んでも割ったらあかん器。死んでもわすれられない器。

昨日は朝から晩まで銀閣寺にいてた
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朝は毎回たのしみにしている稽古。今回は鶏頭にすすき、そしてなでしこをすこし。
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今日は 花を立てるときに意図的にあえて真を中心からはずして活けたんやけど、敢え無く先生に手直ししていただいた 笑
 それと自分の鶏頭を稽古で活けるのは不思議な気分やった。

鶏頭は赤やピンク、オレンジ、黄色などを一斉につくるのでどうしても自然交配して中間色がでる。今日使ったのは中間色の桃色の鶏頭やけど、こういう色も悪くないなぁと思った。



稽古のあと、みんなで一生懸命準備して夜の準備にかかった。


今日はたのしみにしていた銀閣寺でのよるの観月会。

みんなバタバタしながら用意をし始めた。 おれも緊張しながら与謝蕪村デザインの襖を破らないように襖を入れたり毛氈をひいたり手伝った。

しばらくするとお茶の先生方がこられて、奥の茶室でしつらえをはじめたから、気になったので覗いてみてみると、なにやらお釜にむかって小さなコテで灰をカタチ付けたり、仕込みをしておられてそれはそれは興味深く、
"拝見させてもらってよろしいですか?”と聞いてみた
 できるだけかわいい顔をして言うたつもりやねんけどあっさり2秒で断られた。

そのあと、仕度が出来上がったモノをみたんやけど、なんだかすごいものをみた気分になった。 


観月会のはじまりは住職さんたちのお経から。

みなで縁側に座り夜空をみながら夕日がくれて闇になるまでまつねん。
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夕日が沈む瞬間は太陽が燃えて、紅葉しかけている銀閣寺のもみじたちが一旦色が鮮やかに写ってからまた暗くなったのがドラマチックやった。

そのときにずっと聞こえているお経の、男のうつくしい声が最高にかっこええねん。


お茶会の時間になって茶室へ促されると、(床の間が一番奥にあるんやけど)いつもみんな”お先へどうぞ”と、だれも奥まで行かないのでいつもおれが一番奥のとこに座るねん。
  今日の床の間は若冲の師匠の書いた掛け軸に佐野玉緒さんが活けたすすきと萩があって、コオロギの模様の香合が置かれていてそれを蝋燭が照らしていて最高なかんじ。 
そんな床の間前で座れてラッキー。と思っていた単細胞のおれ。

茶室でお茶をお手前してくれたのは、おれと同世代の男の人やった。いろんな人がいるもんやなぁ。
 床の間の一番奥に座っているので一番にお茶を入れていただき、飲んだ。 うまかった。
 そしたら、佐野先生が "どうぞその器をゆっくり見てみてください”と言うので頭の上でその茶碗を回しながらすげーなぁーと見ていると先生と同席していた人たちがドン引きしているのに気づいた。 
  あとからその器がとんでもないものと教えてもらったん。

花宇という仕事柄、いままでも国宝のなかで仕事をする機会などには恵まれたけど、 実際そういうものを手に取ったのは初めてやった。

今日のぶろぐの一番はじめの写真がその器。雨漏り堅手、銘は "白雲”というらしい。 李朝の時代から何百年と使われてきたその質感と、その深みはおれのキャパでは感じきれなかったかもしれんけど、それでお茶を飲んだことと、頭のうえで回したことで、おれにとっては一生忘れられない器になった。

こういう機会に恵まれるのも、すべては佐野玉緒さんが花宇に来てくれたあの一日からはじまったと思う。本当に感謝している。

 
そういえば

なぜおれだけあの茶碗でお茶を出してもらえたのかなと不思議に思いながら銀閣寺を歩いていると、同席していた奥様たちに、床の間の前には一番格の高い客が座るもんやと教えてもらって、さらに一人で気まずくなっていた 



posted by seijun at 18:31| unforgettable flower,  いつまでも

2008年09月06日

武生音楽祭ニテ

さぁ今日はあさ早くから福井県武生にむかった。
 車のなかには昨日切った山野草たちと、お化け鶏頭。

今日は武生音楽祭の引接寺コンサートにて、銀閣寺の佐野玉緒先生が他の音楽家とコラボして立花のデモストレーションをする日。 おれは前々からこの本番がとても楽しみやった。
 
 引接寺について、まずあっけにとられたのはその本堂の迫力。
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スケールがバカでかい。そしておもしろい。 その中央の舞台の真ん中に先生の花器が置かれてた
 
 
 こんなすげえところで献花するのかぁ。 

と思った。

本堂にはいり、舞台裏に置いてある先生自身の切ってきた山野草や花材に感心しながら、(ちなみに佐野玉緒さんも半分花切り職人みたいなもんや。そこがすごいところ。プラントハンターのライバルです 笑)

今日持ってきた花の搬入や水揚げ、世話をしていると、正二さんから電話があった。
 またトラブル発生とのこと。聞いてみるとおれが大事にしている荷主さんのことやったので、すぐに飛んで帰ることになった。
 おれは自営業やから、人とのつながりが一番大事。おれが行くことで収まるかもしれない出来事なら、いつでもどこでも、セコムなみに飛んでいくしかないねん。



 ということでたのしみにしていた武生音楽祭は、本番を見れずに結果的にはトンボ帰りみたいになっちゃったけど、十分すぎるくらい満足していたので帰りの車は気分がよく、(ちょっと眠たかったけど)何時間ものドライブが苦にならんかった。 





なぜなら、本番前の花の仕込みをみれたから。


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この仕事をやっていると、こういう場所で、こういう空気のなかで先生が自分の集めてきた花材をいらうのを見ていると、最高にエキサイトするやん



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この日に使う立花用の老松を4,5本、前もって銀閣寺に送ってたんやけど、先生の選んでくれたのは、細く天に伸びた一番無駄のない  という漢字に似た老松やった。
 ちなみにこんな松は滅多にない。
(いつも太すぎるのと大きすぎるのに注意しようと思ってるんやけど、ついつい大振りになってしまう、勉強勉強。)


それにしてもあれだけの仏壇?の前に、松と鶏頭の秋の立花。

ヤバいなぁ。妄想だけでゾクゾクくるよ





ちなみに
 

という漢字には
 
 空間、天、広がり、家、世界のはずれ などの意味があるらしい

 
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posted by seijun at 22:57| unforgettable flower,  いつまでも

2008年09月02日

きた!

let me talk about the banana ....


when i found this banana in the countryside in south asia, about 3years ago ,local people called it "Prayer`s hand".
I straightaway understood why they call the banana like that because of the way it gives the fruit.

そう8月7日に写真を撮った以来ごぶさたのあの芭蕉。バナナ。


東南アジアのプラントハンター仲間から譲り受けたんやけど、その人やその地域の人はこの芭蕉を”プレイヤーズハンド”と呼んだ。


その国は仏教の国で、どうにもその実の生り方が仏様をおがむ人つまりprayer の手を思わせるカタチをしているから。




ほうら
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 昔 安部豊武という偉大ないけばな作家がいて、いくつか安部先生の宗教をモチーフにした作品をみたことがあるねん。
おれは本当に一度でいいから一緒に仕事がしたかったなぁと思う。 また、中川幸夫さんにも見てほしかった。 ただ、おれと世代がちがう時代にうまれたから一緒に仕事ができなくて残念やわ。
この芭蕉を見てるとそういう気分になってくるよ。
ちなみに安部豊武先生はおれのオヤジにいけばなを教えた人物。


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this banana is extremely rare and exciting, like one in a million , and it is just so good for modern art ikebana style. i am just proud of it.


この芭蕉を初めて国内で活けたのは、おれが尊敬する花人、生真流家元の川岸香園先生。
 おれが初めてこれを発見したとき、とにかく川岸先生に使ってほしいと思って、現地で切って、実だけを輸入した。 バナナの実は黄色くなると輸入規制にかかるので、青い状態じゃないと輸入できないんやけど、そのとき日本についたときにはもうすでに黄色くなりかけていて、半べそかきながら植物検疫の職員にお願いしたことがあったんやけど、無事手に入って、当時94歳?だった川岸先生にプレゼントして、浪切ホールにて活けてもらった思い出がある。そのときはこの芭蕉に、おれが作っているマンゴーの実が付いた枝にでかいアンスリウムのまっ黄色に変色した葉っぱをあわせて盛るように活けてもらった。 
そのとき先生はこの芭蕉の実を 
”おもろい"と言った。

 アツかったなぁ。いま思い出しても鳥肌が...


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そしてそのとき、当時友達やったおれの嫁ちゃんはその一部始終をみていて感動してくれて、その日、おれの彼女になった。



こういう花の奇跡が人生を豊かにするね。
 


これはきねんすべき日本で最初に実らせた実やねん。
今日この芭蕉を写真にとったのは単純に、今日売ってしまったから。おかげさんで全国から十分な仕事に恵まれていて、ほかにも書きたい植物や花が毎日どんどん飛びだって行ってるんやけど、やっぱりこれはクローズアップしとかないと思うねん。


おれが植物を収集するけど、趣味で観賞するつもりはなくて、おれがこれを大事に育てたのは、花を咲かせて切り花として売りたかったから。

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たまに、おれがここまで植物がすきやから すごい植物ほど”売らないんでしょう?”といわれることがあるけど、きっぱり言うとおれはプロなので植物は基本的には売るためにをつくってる。(川岸先生は特別扱いや!) だから切り花として毎年売るために苦労して遠いところまでこれを探しに行ったん。かのターシャ・テューダーも”わたしは絵を売るために描いてるの”と言ったんやで。
 そしてこういうモンの値段は気分で決める。ガハハ



今回、この芭蕉を使うひとも、それにふさわしい人物。光栄や。


 むかしむかしのイギリスのプラントハンターも、別に王様のために美しい花をわざわざ危険を冒してまで海を渡ってさがしに行ったわけじゃぁないやん。王様に美しい花を献上したら、報酬をもらえてうまいメシにありつけたからに決まってる。
おれも全く同じ! 会社に売り上げにつながるから、家族のメシになるから、わざわざ危険を冒してまで植物や花を採りにいくねん。
これからもどんどん行くよ

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芭蕉科バナナは多年草。 花を咲かすと親株は死んで子孫を残すために株元から子供を生むんやけど、もう、4,5株は株分けして、来年用に順調におおきくなっている





この芭蕉は プレイヤーズハンドという名前をもとに、

”仏芭蕉" と呼んでいるよ





 
 


posted by seijun at 01:16| unforgettable flower,  いつまでも