2011年06月25日

花のチカラ


http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110619t65004.htm

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20110618-OYT8T00823.htm



IMGP2676.JPG

震災からちょうど百日後の六月十八日、 福島県南相馬市の農家二十人と、二百数十人のボランティアの方が結集し、復興のシンボルとしてひまわりの種を7ヘクタールの畑に撒いた。

”復興ひまわり大作戦”と名付けられたこのプロジェクトは、発起人である八津尾初夫さんを中心に津波で深刻な被害を受けた方々みずから立ち上がり元気をなくしたお互いをはげまそうと始まったものだ。



おれは個人的に100万個のひまわりの種を寄付した。 以前から花と緑を用いた支援活動の情報交換をしているオープンガーデンみやぎの鎌田さんがおれの名前で寄付した40万個の種など、結局このイベントには最終的に200万個くらい全国から種が集まった。なかには10粒からメッセージを添えて送ってきてくれたひともいる。 本当に心温まる話やった。 同じ国民がたちがろうと思っているときに、これだけの種が全国から寄せられて、この国の花心も捨てたもんじゃないなぁと思った。




IMGP2685.JPG

このイベントの発起人、八津尾初夫さんという農家さん。


彼は津波ですべてを失ったひとだ。 

これ以上は書けないくらいつらい話だけど、彼は ”おれはもう吹っ切れた。 なんとか元気のでるようなことをせんと。。。” と言っていた。

ひまわりが放射能を吸収する植物だとか、塩害を受けた土壌によいとか、 いろいろな情報が飛び交っていて、おれもずいぶんいろんな方に相談したり自分なりに調べていたが、そうじゃなくて、傷ついたひとが自ら、”元気がでるような花を”と言って団結してひまわりを植える、これ以上のことはないと思った。 

 いままではそれが本当に効くのかどうかとか、もしかしたら菜の花のほうがよいのでは、とか産業用ヘンプがよいだとか、実はスイレンがベストとか。   例えばそれらを植えたら、その後どう処理するのかとか。 またはそれらを植えるために畑をトラクターで鋤きこむ と土壌の表面にある放射能がより地中に拡散するのではないかとか。 チェルノブイリでひまわりが植えられているのは放射能汚染された土壌にいいからではなくもともとひまわりの産地だったからだとか。 

いままでたくさん考えたけれど、最終的には被災者地震が、

”なんとか元気のでるようなことを”
と植えたひまわりほど価値のあるものはないなぁと思った。




実はあれ以来、おれにも被災者の方や、東北の方、このブログを見てくれている方々、いくつかの企業から”花や緑を使った支援活動ができないのか””植物の力で被災地を勇気付けてほしい””花や苗を届けであげたい” ”こんなことをすれば被災者が喜ぶのでは?” というメールや相談や依頼が寄せられている

先日の大阪でのトークショーでも、一昨日の沖縄での農業組合での講演でもつい、自分の思いのあまり震災の話が長くなってしまったが本当によく耳を傾けてくれたと思う。仲良くしている園芸の先生が言ってたけど、”そうやってひとの痛みがわかっているうちは人間としてOKな証拠だから!” という言葉を思い出す。  本当にそうですよね。




震災直後の段階では 花や植物でできることを思い描くところからはじまって、
いままで、ほぼ毎日と言っていいくらいだれかと何度となくいろいろ話し合い、ひとりひとりの思いやアイデアや要望をすこしづつ知ってきた。

 実際被災地から訪ねてこられた人たちの話や 石巻、気仙沼の避難所や仮設住宅のリーダーさんたちの話、地元の自治体の方の話、東北でいち早く花と緑を用いた支援活動をしている人の話。   また、おれが慕っている学者さんの話、花や緑を使って支援活動をしたいと考える企業の方の話、いち国民としての友達の話、いろいろな話をこの耳で聞いた。





 日を追うごとにわかってきたこともある。  








毎週被災地へ赴いている写真家から聞いた話。 

”とある避難所にいくと、ひとりの国会議員から花苗が入った大量のダンボール箱が送られていた。でもそのとき避難所の人たちはそれを目の前にして呆然として、世話をしてあげたいけど、自分の飲む水を確保しなければならない状況ではとても花苗を世話する状況ではなかった” 

 重要なポイントは、花や木というのは本当に必要なひとに必要なタイミングで持っていってあげるのが一番重要なんだということ。被災しなかった側が受け入れ相手の情報を把握しないで、よかれと思ってする行動に迷惑をかけたりすることもある。



植物も物事もすごく似ていて、
 たとえばここに、根っこが傷ついて弱っている植物があったとして、

 元気にしてあげようと傷ついた根っこに急に肥料をやるとかえって余計に痛むように、 だれかが本当に傷ついているときに急に慰めの花を持ってっても逆効果になりうる場合がある。 

でも、傷ついた根っこはやがて自分で自然に再生し始める。このタイミングを見計らって肥料をやるとその植木はグンと元気になるように、物事もきちんとタイミングを見計らってやるべきことをやるべきタイミングですれば効果は絶大になる。


つまり震災復興も無理せずひとが自然に上を向いて歩み始めたときに、ちゃんとタイミングを見計らってすべきことをすればグンと元気を取り戻すと思う。





 このタイミングでいち早く ”なにかやりましょう”的な発想で支援活動したくないと自分は思うし、

 行われている活動のなかには偽善的なものやチャラいなぁと思うものある気がするのもあるのは否めない。

たとえばアーティストが ただ短絡的に”震災に影響を受けてこんなん作ってみました” みたいに作品を作ったりしたところで芸術的価値があがるわけでもないし、本当に意味で人気を集めれるわけでもないと思う。 そういう連中に限って物事がホットなうちになにかやって、時間がたてばすぐに引いていくだろうと思う。   

震災後、たくさんのひとがボランティアで被災地に向かい、手に余る状況だったという。 震災から3ヶ月、いまはそのなかの大方のひとがざーっと引いてしまって、足りなくっていると聞いた。


 
本当に長い目で支援活動をみていかねばならないってことがわかっている。 
焦って今年来年なにかしよう、いまなにかしなければ、っていう発想よりも10年20年、もっと長いスパンで見なければならない発想も重要やと思う。 


 おれがそう気づけたたのもきっかけがあって、とある企業から、 ”@千万円分の義捐金を用意しているが、単純にお金を送るのではなく、その代わりにその資金で木の苗を集めて、来春に被災地の公共の場などに寄付したい”、という内容のプロジェクトの依頼を受けたときだった。

 この企業からの相談がきっかけで、自分自身、被災地に木を植えるってことを真剣に考えた。
そしたら本当に被災した地域に木が植えれるのは、街づくりの計画がちゃんとできあがり、道ができ、本当に意味で復興したときに初めて植えれるもんだと気づいた。だって木は一度植えたら何十年も何百年もそこにいなくてはならないやん。  ということは何十年も先のビジョンがないと木は植えられない、ということに気がつくことができた。 だから一過性の支援活動もいいけど、本当に支援活動します!と声をあげるなら何十年先のことも考えないと、という発想が出来た。



ちいさな植物の卸屋を田舎で営んでいる人間に、なかなかできることも少ない。けど、あれ以来、自分自身の心のあり方など本当にいろんなことを考えるようになった。 震災後3ヶ月たち、ようやくあのときの重松さんの言葉の意味がわかるようになった気がする 
http://www.mbs.jp/jounetsu/column/

  
 初めて被災地を訪れたとき、石巻の町をみて愕然とした。

あまりにもすごすぎて正直”自分じゃなくてよかった”と思ってしまったほどだ。

あのときの自分の気持ちを恥ずかしいと思えるようになったからこれからは できるかぎりのことをやっていこうと思います。





先日の南相馬市のひまわりプロジェクトは、 大々的な開会式のもとに始まった。
プログラムの中に ご挨拶させていただく予定が組み込まれていたが、ついに開会式には間に合わなず(予定を変更して海外から直接駆けつけたんやけど)

開会式と種まきの様子を集まった報道陣は撮るだけ撮って一斉に帰った後に、

このイベントに参加した農家さんとボランティアさんたちと閉会式を行った。このときに話させていただいた内容を 声を大にして言いたいのでここにも少し書いときます。


IMGP2689.JPG

 ”みなさん、今日はおつかれさまでした。 僕自身、みなさんと一緒に種まきをできてすごく光栄に思っています。 やがて花が咲くのを見にくるのがたのしみです。
 今日こうやって、ひまわりを植えたのは、本当に大正解だったと思っています。 
  僕自身も阪神大震災のとき被災しました。古かったおばあちゃんの家は全壊し、温室のガラスも全部割れました。 当時僕が通っていた中学校のまえには仮設住宅が卒業するまで建っていたのを覚えていますが、今回の東日本大震災のあと、花や緑を用いた支援活動をするための調査を進めているうえで、とある学者さんに、阪神淡路大震災のときの仮設住宅の花壇に植えられた花はみな黄色い花だったという情報を聞きました。 黄色い花というのはきっと心理的にひとを元気にさせるチカラがあるのだと思います。 本当につらい思いをしたと思いますが、こうやって立ち上がったみなさんを本当に誇りに思うし、勇気を出して立ち上がった八津尾さんを誇りに思うし、ここにこれだけの種が全国から集まったことにも同じ日本人として誇りに思います。

いま、 花や植物の力を用いてなにかできないか、という声が、僕の元にも企業や個人からたくさん寄せられています。    花にしかできないなにか不思議なチカラを信じているひとがおおいのだなぁと日々感じています。  そういった声や思いを、すこしでもみなさんに届けれるよう 心ある仲間と花や緑を用いた支援活動を専門にサポートするNPOを立ち上げることを決心しました。  微力ですが、自分たちにできることをしぶとくやっていきたいと思いますのでこれからもよろしくおねがいします  また、花が咲いたころに会えるのをたのしみにしています ”

IMGP2691.JPG

 
もっといろいろ話したかったんやったんやけど、 話しているうちに涙する被災者の方をみておれももらい泣きしそうになったので、長々話をするのをやめて、壇上をおり、 さっさと空港へむかいました。






IMGP2705.JPG
posted by seijun at 00:38| unforgettable flower,  いつまでも