2011年03月20日

身近にあるたからもの

IMGP0714.JPG

今日の銀閣寺での稽古花は、この日のために咲かせた梨の古木の花などを持っていった。 あとは苔むした山桜の枝ぶりのよいものや、最近おれがハマってる雲仙躑躅 など。

このチームのお稽古ではあらかじめ花宇でお稽古用に切り分けた花材を渡すのではなく、できるだけその木の自然の姿から自分の活けたい枝を見極めてもらうために、あえて花材を株ごと掘り起こしたものを持ってきたり、山から切り出した姿のままの枝をがっさり持ってきて、みんなに選んでもらってる。 自ら歩いて自然のなかで花材を探す珠寶先生の考えにできるだけ沿うように考えた結果だ。

IMGP0695.JPG

IMGP0713.JPG



今回の梨の枝は、2年前に偶然長野県のとある古い民家の裏庭で見つけた古木のもの。
IMGP0729.JPG
木は一般的に古木になり年数が経つと、毎年伸びる枝の長さが短くなっていく。
若いうちは一年に何十センチも枝を伸ばす木が、ある程度の年齢に達するとだんだん一年に伸びれる長さが短くなっていく。 この梨の枝のようになると最後のほうは一年で数センチ単位しか伸びていない。 こういうふうな状態になった枝を”締まった枝”という。

  この枝先を切り取った部分が、日本人の感覚に”風情”となって感じられ、ちいさな花器に納まったときにその年数の分、やはり美しさを発揮する。 それは若い枝では出せない味だ。  

こういう枝になっている部分を遠くからでも見極めれる目とか、木の光る部分を見極めれる目こそ、花宇の仕事の重要な要素になる。



 持ち主のおっちゃんが邪魔だと言って切り倒そうとしていた梨の古木を、

 ”この梨の木は宝物のようなものです。毎年おれが枝を買いにくるので切り倒さないでください”と言って以来、去年も今年も切らせていただいて、いけばななどに使ってもらってる。  



 梨は、幹肌が黒くてぶりが男らしく、花は素朴で可憐。美しい。 

ふと田舎の片隅に眠っている、たからものだ。 

posted by seijun at 22:55| for ikebana , いけばな花材