2010年07月07日

ご縁





銀閣寺の裏の 研修道場、 ついに足場がとれてその姿がお目見え。
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興奮した

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今年は冷夏?のせいか蓮の花が遅く、代わりに今回用意した花材は 段竹、沙羅双樹(夏椿)、黄金板屋楓 、そして自然風の紫陽花。

毎月一週目の日曜日はおれにとって大事な時間。忙々こまごま仕事をしているおれにとってちゃんと花に向き合えているか息を整えてすごす時間。 黄金板屋楓を活けたのは初めてでなんだか好きになった。 
 みんなも蓮がない分この季節の初めて出会う花材に右往左往しながらまっすぐ花に向き合った。みんなが段竹を活けるのをみて、なかなかいいもんやなとふと思った。あれだけ段竹を細く作るのは暑い時期に地味な作業が必要で、一工夫必要だがこれからもがんばろう思った

そういえばある月夜の晩に自分の山で、今回のお稽古に使う紫陽花の枝を選んでいるときにふと思い出してひとり幸福感に包まれていた。

 パリでのことを思い出したから。


あの強烈な日々から少し経ち、ちょっとづつ伝えたいことがまとまったので話したいと思う。
でもその前に実は

   パリから帰国した武者小路千家 若宗匠 千宗屋 さん が銀閣寺 花務花方 佐野珠寶さんに 送られた メールがおれの手元にもあるので 抜粋して ここで紹介させていただきたい。 


佐野 珠寶さま



この度は慈照寺国際交流プログラム

「茶花香」においては数々お引き回し

いただき、また細かいサポートを頂き

ましたこと心より厚くお礼申しあげます。




特に最初のブルカンブレスが僧院での茶の湯で、

献茶式という「仏祖に供える」という原点に

立ち返るものであり、しかも献花とともにある

ということがまさしく現代に蘇った

室町書院の荘厳のようでありました。

或いは13世紀の中国から禅が伝わった

当時の僧院での茶・花のありようを偲ばせてくれました。



続くギメ美術館ので小間の茶の湯は、次の時代桃山の

侘び茶の象徴であり、市中の山居での心の平安を

得るものでした。



そして最後のアルベールカーンは郊外の離宮での

遊興としての茶。貴族的趣味の中茶屋で茶の湯、

庭を楽しみ移動して管弦に立て花。

まさしく後水尾院や八条院宮が

桂や御所、或いは鳳林承章が金閣の池

で行った17世紀京都の堂上公家の室町リバイバル

としての遊興の再現のようでした。



(ということは、想像する東山山荘での

茶花香の遊びもああいう雰囲気だったでしょうか。

ただあの解放感は室町というよりやはり17世紀

的であったように思います。)



というわけで、今回の1週間は、ブルー→ギメ→カーン

で 室町(鎌倉)→桃山→江戸 と茶花の歴史を振り返る

ような時間だったと言えるのです。

しかも、最初の献茶献花が神仏のためになされたもので

あったのに対し、最後のカーンが人のために行われた

こともその流れに見事に重なります。



誰がこの流れを作ったかわかりませんが、

そのことをカーンの温室での立て花を見ながら

気がついた僕は、ひとり身ぶるいしていたのです。



これをわれわれになしたのはやはり義政公でしょうか?

どう考えてもあらかじめプログラムされたとしか思えない

必然的な流れだったと思います。

図らずもフランスで初心の方々に教えながら、

実は自分たちがその歴史的な流れを体感する機会を

与えられた学ばされた事実に本当に驚愕しました。




今回珠さんの奮闘ぶりを間近に

拝見し改めてその熱意と、弛まない努力と、

何より花事への愛情に本当に心打たれました。

僕も改めて純粋な気持ちでお茶に向き合い、

楽しみ、精進していかなくてはいけないなと

感じました。





来年もまたご一緒できますこと今から心より楽しみに

しております。(来年のこと既に腹案あります。)



では、御身体だけはくれぐれおいといください。



                隨縁斎 宗屋 九拝




今回 三回目の慈照寺国際交流プログラムにおいてもたくさんのことを学ばせてもらったのだけれど、やはり初年度から参加していても己の知識や器量があがらないと、本当の意味で身にならないことを感じている。 千さんのひとつのメールで、 ”ああ なるほど そうやったんや” といまさらながらに気づくことが多く、 恥ずかしながらあくまで大前提として知っておかなければないない部分をあるということを痛感した。
 
 おれ自身はいままでは単に、この二人が世界的な現場で花を立てるとか、お茶を点てることに興奮しがちだったが 、(それはそれで純粋やったんやけど) 3年目にしてこの慈照寺国際交流プログラムの本当に意義や重みなどを感じるようになった。 
 
 このプログラムのコンセプトというか目的は、この数年でじっくり考えられたわけでもないと今回わかった。 前兆は、2008年の”京都 相国寺・金閣寺・銀閣寺 名宝展in paris ”や 、その年にパリ市と京都市が姉妹都市50周年を迎えたことなどすでに目の当たりしていたがおれ自身も興奮しすぎていて最近まで気が付かなかってん。、 このプログラムはたぶん500年前から仕組まれていたものにまちがいない
 

それに気が付いたのがブルー美術館でのお献花・お献花だった。

  千さんが珠寶さんにあてたメッセージのなかにも ”我々にこれを成し得たのはやはり義政公でしょうか”というくだりがあったが、鳥肌がたった。 おれもまたブルー美術館にて、二人が逸脱した世界で無になって仕事をなしえている姿をみて、おれも うまく言えないけど、 なにか大きなものが二人のためにたくさんの舞台を整えているな、という気がしていた。 

  珠寶先生は花を活ける前には、決して多くは語らず でもちゃんと大事なことをふともらすときがあるねん。 そして最近 花をたてた後に”だれかに手を動かされているような感じやった” と言う。  そんときにいつも ああこの人の花は、 なにか大きなものが彼女の手を借りて動かしているのだなぁと毎度思う。 もちろん横で見ていてそういうときと、そうでないときとあるみたい。今日は人らしい花やな、とか思うときもある。  でも 今日は何か降りてきてるなって思うときもわかる。 何が降りてきてるのかは知らないけど。 あるいは義政公なのかな。

ブルーでのたてはなは、とくにマーガレット夫人が眠るまえで立てた花は、いままで見たたてはなで最も美しいものだった。 


 千さんのメッセージにも見られるようにこのプログラムには偶然があまりにもたくさん偶然が潜んでいて驚いている。 妙音弁天堂にいるシャーマンに おれには義政公の血が流れているといわれたあの日を思い出すがが、このプログラムを近くで見れる機会を天から与えてもらえているのもまた偶然か必然か。  おもしろいなぁ。 でもいちおう、 ”清順できること一生懸命手伝えよ!” ってだれかに言われてる気がする 笑 

時間をやりくりして会期中1週間づつ2度パリへ飛んだが 強烈な日々だった


 
 ところでいち職人として花宇のおれが海外へご一緒させていただいている理由はだたひとつ、花材の心配りなのだけれど、一度目に合流したときにプチパレ美術館の中庭での撮影があった。
現地での時間をやりくりしながら縁のあって手元に入る花材を使っていくのだけれど、そのときは、珠寶さんが花市場で仕入れたアレカヤシの葉を真に使うと言うので、”それはちょっと..と正直思っていた。 別にアレカを軽視しているつもりはないのだけれど、さすがにもう少し格ある花を真にしたほうがいいのではと心配してたら、 珠寶さんが”うん これでいいよ”ってあまりにも迷いなくいうからあっけにとられて”でもね”と言わなかった 
  もしおれがベテランの口うるさい花材屋なら、もしくはもっと自分に自信があったら、あるいは本当に役立つブレーン的な存在だったら”アレカはやめときましょう”と言ってたかもしれない。けど、撮影に入るとそんなおれのひとり心配事をよそに、珠寶さんはひらりと飛び越えて見事な花を立てた。 アレカヤシの葉はおれには羽に見えた  
 いけばなには、その花ができるまでたくさんのバックストーリーがあって、できあがる。 だからおれにとって、アレカの作品はそのときの旅情を思い出すのにちょうどよいです。

結局 いけばなの花材というは、 なんでもいいようでなんでもあかん。 なんでもあかんようでなんでもいい。  やな。  だからおもしろい。


とにかく、これらの花は、12月発売の新春号の婦人画報で18ページに渡ってこのプログラムの特集が組まれているその中で登場するから、ちゃんと見てみてほしい。

 いけばなを見て、”この花、わかるか?”という類の話は、おれ自身すべきかそうでないか、微妙だ。その花をみてなにかが伝われば、その心がわかれば十分だ、と思うときもあれば、それ花をわかるためにはある程度のアレも必要だとも正直思うし。 
 少なくとも珠寶さんの花を見てるひとが一体どれだけの気持ちで見ているのか、何を思っているのかは知らないけど、もっといろんなひとにみてもらいたい、という気持ちもある。
 
 現地のひとに体験してもらう、いけばなワークショップも回を増すごとにすばらしいものになっているのだけれど あるときは、来てくれたひとたちが目を輝かせて珠寶さんに教えてもらっているのに制限時間が来て終了になったときなどは、それを見ていたおれ自身が、自分の至福の時間が邪魔されたぐらいの気分になるありさまだった。どうして美術館のひとに時間もうちょっといいですか?と聞けなかったんだろうと後悔している。

このプログラムに興味をもって見に来たり体験しにくる現地の方をみたら、すぐスイッチが入ってしまうねん。 

 ”すごく気持ちいい世界だから存分にたのしんでいってね”


とにかく、日本のみなさまも、ちょっと考え方を変えてみて、 まずこの活動や二人のことをすごいなー と思ったら、その次に、日本人が大切に守ってきた文化や大事な部分をこの二人が代表して将来へ繋いでくれていると思うと、今度はすごく愛情が沸いてきませんか。おれはひとにはそれぞれ役割があって生まれてきていると信じているねん。 


珠寶先生は、あれだけのパリでのハードスケジュールをこなしたあと、帰国したが時差ぼけどころか、逆にめちゃめちゃ元気になってツルツルで帰ってきた。 きっといろんなエキスを吸収してきたのだろう。おそるべし。 千さんも話すたびにつくづく貴重な男だ、と感じる。 ああこのふたりはどこまでいくのやら。
 

日曜日、大書院なでお稽古したあと、珠寶先生を囲んで、お寺の若いスタッフと打ち上げ&誕生日パーティをしました。最後は一本締めと植松君の怪しい一発芸による全員の失笑で幕を閉じました。
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そうそう最後に、もうひとくだり、千さんのメッセージの一部分を。



こういう機会をもたらされたことは、やはり佐野さんの

絶え間ない努力のおかげであり、そのためにわれわれに

誰かが今一度原点に返るために経験させてくれたのだと

思います。その意味で佐野さんの活動に対して改めて

心から感謝と敬意を捧げたいと思います。


未来は明るいっすね ☆
posted by seijun at 01:25| unforgettable flower,  いつまでも